昔々、故郷に恋人がいると兵士たちの士気が下がり戦争に勝てなくなると考え、婚姻を禁止したローマ帝国皇帝がいました。
婚姻を禁止されて嘆き悲しむ彼ら兵士を憐れに思い、こっそり結婚式を挙げていたのがキリスト教の司祭ヴァレンティヌス(バレンタイン)です。
ヴァレンティヌスの行いはやがて皇帝の耳に入り、やめるよう命令されましたが、毅然として拒否したため、ついにヴァレンティヌスは処刑されたのでした。その日はちょうど家族と結婚の女神ユーノーの祝日(2月14日)にあたる日で、一説には時の皇帝クラウディウスが意図的に、当てつけの意味合いで選んだとされています。
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「ふうん……バレンタインって司祭の名前だったのか」
キッチンに置いたタブレットでバレンタインの由来をググると、おれは独りごちた。年に一度だけのイベントなので、いつか調べようと思いつつも忘れていたのだ。
広いキッチンルームにはおれと妹の花凛だけだ。エプロン姿でチョコレート作りに挑もうとしている。たまには贈りたい相手と一緒に作ってみたいと花凛に誘われたのだ。
ちなみに花凛は八歳下の高校二年生。母親の再婚でできた初めての妹だ。ポジティブな性格で無邪気なので、振り回されること傍迷惑だけど、一緒にいて楽しいのは事実だった。
「感心してないで早く調べてよ」
花凛が急かす。バレンタインチョコのレシピを確認するつもりが横道に逸れ、ヴァレンティヌスのエピソードにうなずいていた次第だ。
「市販のチョコを溶かして成型し直す程度だからレシピとか要らなくね?」
「わかってないな。手間暇かけるから想いが伝わるんじゃない」
「貰う側としては手作りでも市販品でも大差ないんだけど。チョコレートを贈りたい相手、っていう存在意義だけで充分満足なんだぞ」
よくクリスマスやバレンタインを呪って僻(ひが)む人達がいるけれど、ネガティブにならなくていいと思う。誰かが幸せになれればそれでいいじゃないか。世の中が鬱屈した空気に包まれるより余程ましだ。
花凛と一緒にチョコレート作りに難儀した。
成型するだけだと思ったら、やれメレンゲを作れだの牛乳が何mlだのと指示がうるさい。しかも花凛がうっかりココアパウダーを買い忘れていたので慌ててコンビニに車を走らせる始末だった。友チョコをラップに包み終えた時には深夜一時を回っていた。
「……お前、友達多すぎ。いったい何個友チョコ作ったんだよ」
「五十個。クラスのみんなと部活の先輩と後輩でしょ。あと葛西彩世ちゃんと結城萌美ちゃん、丹羽眞理子さんに瀬名香織ちゃん、それに真衣菜ちゃんと莉子ちゃんもいる」
誰だよ。
「ブランデーボンボンはおれと父さん用の義理チョコだってのはわかるけど、このでっかいハートマーク型の本命チョコは誰に渡すんだ?」
「えへへ……内緒」
意中の男子がいるのだろう。そういえば一緒に暮しはじめて半年経つけど、花凛と突っ込んだ恋バナをしたことはなかった。
「教えてくれ。ちょっとお兄ぃの部屋に行こう」
余ったブランデーとチョコを持って花凛を連れ出した。
――スマホで撮影した画像を見て、妹の想いを受け止めてくれる素敵な男の子だと思った。どこでどうやってチョコを手渡すのか尋ねようとしたけれど、チョコ作りですっかり疲れた妹は、もうベッドに横たわってスヤスヤと寝息を立てていた。
Extra Episode2『ユーノーの祝福』
(2月14日、閲覧者の皆さんにユーノーの祝福がありますように)