僕も高学年になると、自分で気持ちよくなることを覚えた。
最初はごく普通に、学校で見た発育のいい女子を思い出してネタにしていた。膨らみかけた胸、走ったときの揺れ、プールでの水着姿など、思春期に差し掛かった男子には刺激的なシーンが、毎日色々あった。
そのうち、すぐ出してしまうのがもったいなくなって、出そうなところで止めることを覚えると、今日見たあの子や昨日見たあの子、体操服の膨らみや徒競走での揺れ・・・と、いろいろと思い浮かべるようになり、1回に長い時間がかかるようになっていった。
学校から帰ってくるなり、遊びにも行かずゲームもせず、1人部屋にこもってばかりになった僕を、母は当然心配したようだった。そしてある夏の日、ついに、部屋の戸をガラッと開けられてしまった。
「なにしてるの!?」
母の説教の中で、エロ本もなく何をネタにしているのかと問われ、学校の女子の想像で抜いていることを話すと、母は驚くような提案をしてきた。
なんと、想像だと時間がかかってもったいないから、母が目の前で体操服や水着を着てあげると。だからそんなことは早く済ませて、外で遊んだり勉強したりしなさいと。
そして母は早速、洗濯してあった僕の体操服を持ってくると、僕に後ろを向いているように告げ、それに着替えてしまったのだ。
「子供の体操服なんて着れるの?」
と僕が聞くと、
「150なら入るんじゃない?お母さん、体大きくないし」と母。
「・・・ほら、着れた。見ていいよ?」
そのとき振り返って見た母の体操服姿は、今でも目に焼き付いているくらいの衝撃だった。
母は少し小柄で細身とはいえ、僕の体操服を着た姿は、上下ともピチピチで、当時の幼い目にもとてもセクシーだった。特に当時の僕にとっては、Tシャツの胸がたまらなかった。
あとで知ったところでは、当時の母のブラはアンダー65のEカップくらい。Eカップといっても分厚いカップとパッドで盛られたブラなので、大人としては大きくない。しかし学校で見た、まだ思春期を迎えたばかりの同級生女子の胸と比べると、大人の、そして寄せて上げて盛られた胸の膨らみは、とても立派に見えた。丸いふたつの膨らみの間に、三のようなシワも入っていたのも、印象に残った。
母は横を向いたり、腰に手を当てたり、いろいろなポーズをとってくれた。横を向けば胸の高さが際立ったし、ウエストに手を当てると、その細さと胸との対比が強調された。
僕はすぐにギンギンになり、母のショーを見終えるまで持たず、自分のものを少し触っただけで、すぐに果ててしまった。
「あれ、もう出ちゃったね・・・。
じゃ、拭いて切り替えて、宿題しなさい」
それが、母との秘密の日課の、記念すべき初回となった。